2002年2月17日日曜日

余丁町便り(No.003)



余丁町便り(No.003)
                 ..................
余丁町散人

わが家の遅咲きの紅梅がようやく少しずつ花を開かせはじめました。まだ満開にはほど遠い状況ですが、春を感じさせます。写真を入れておきます(クリックすると画像が大きくなりますよ)。

このウメはかなり歳をとった樹で、ムシなんかがついて、いろいろたいへんでした。そのへんの苦労を Gardening のページに書いておきました。ご笑覧ください。

わが家のウメ

HPの作業状況

一月から作成に取り掛かっているホームページも、だんだん形をなして参りました。最初はホームページ作成専用ソフトを使用して悪戦苦闘していたものですが、あまりに複雑でそうそうに諦め、アップル社のサイトで提供されている簡易ツールを使うことにしました。すると、とたんに作業がはかどり、いま何とか形を整えつつあります。

家内の家族がフランスからアクセスしてくれましたが、当然ながら日本語表示が読みとれないと言うので、英語版のサイトメニューも付け加えました。ヘッダーの一番最後のボタン(ENGLISH) で英語表示に変わります。
去年から散人は、Net News という電子会議システムに参加するようになっています。なかなか興味深いものです。NetNews Articles というボタンを押していただくと散人の投稿状況が分かります。ジャンルは政治経済から、グルメまでいろいろです。お覗きください。


「荷風塾」
***
世話人:散人
「荷風塾」というのをこのホームページに作りました。詳しくは「荷風塾」というボタンを押して「荷風塾 学校通信」というレターをお読みください。散人は本当に荷風が大好きなのです。荷風のことを話し出すと何時間も続いてしまします。そんな荷風に対する思い入れをこの「学校通信」でお伝えしたいと思います。これを肴に、更なる荷風談義を、ホームページ付属の掲示板で続けようとの魂胆です。

掲示板に書き込みをしてくださる方も、ぼつぼつ増えてきました。ありがとうございます。ホームページをご覧になられたら、ついでに掲示板に一言お書きいただけると、とてもうれしく思います。




2002年2月16日土曜日

〔再掲〕わたしの阪神大震災

わたしの阪神大震災〔再録〕

六千数百人の命を奪った阪神大震災から5年。個人的にも忘れることが出来ない事件であった。ちょうどそのとき関西に用事があり、宿泊していた西宮の両親宅で地震に遭遇したのだ。寝ている上にタンスが倒れてきて、更にその上に屋根が落ちてきた。身動きがとれず、土埃と屋根の重みで息も出来ない。右足の膝から下だけは、わずかに動いたので、体を少しずつその方向にずらして行き、最後は無我夢中で一気に脱出した。抜け出たところは崩れた屋根の上で、頭上には一面の星空があった。

それから罹災者生活が始まったが、余震が続く夜中、手帳に書き付けた「死なないためには」と題するメモが残っているので紹介したい。1)タンスの下では寝ないこと。どんなことをしてもタンスは必ず倒れる。2)ボロ家には住まないこと。古い家は例外なく壊れてしまった。3)水を確保すること。食べ物なぞはなくとも三日ぐらいは平気だが、水がないと本当にどうしようもない。井戸があれば一番よい。

この三点を心に決めて、交通手段の復旧と同時に東京に帰ってきた。しかし、以来5年、ひとつも実行できていない。寝ている部屋の壁には相変わらず本棚がある。住んでいるところも古い木造住宅だ。井戸を掘ることにいたってはだれも冗談だと思って相手にしてくれない。なぜ実行に移せないでいるのか。それは経済的な問題である。タンスのない広い部屋にも、頑丈な家を建築するにも、井戸を掘るにも、たいへんなお金がかかる。日本では最も基本的な「死なない」ことが、きわめて高くつくのである。

日本の個人金融資産が1300兆円だとか、GDPは世界二位だとか、日本はえらくお金持ちの国であるかのような錯覚がある。だからODAも大盤振る舞いだ。新年の各紙の社説にも、もう経済成長を追い求めるのはやめよう、生活の質の方が大切だ、という論調が目立った。でも大部分の国民が地震ですぐ壊れるような家に住んでいて、どうしてそんなことがいえるのか。生活の質は物質的な裏付けがあってはじめて得られるものだ。ゼロ成長でもかまわないと言うには、はっきり言ってまだ十年早いのである。少子化が進み、ひ弱な若者が増え、経済成長率の低下は不可避とする議論があるが、それにも同意できない。

阪神大震災の話に戻るが、地震の直後の瓦礫のなかで、子どものような若い婦人警官がひとりで、信号機が停止した街路の交通整理をしているのを見た。怪我した家族を車に乗せた男が大声で叫びながら猛スピードで交差点に突っ込んで来るのだが彼女はいっさいひるみを見せなかった。以来、筆者は若者と女性の悪口は言わない。労働力問題は若年層と女性の就業率を上げることで十分対応できる。

(橋本尚幸)

2002年2月13日水曜日

〔再録〕なぜいま荷風なのか? 高齢化社会と荷風


「荷風塾」学校通信
School News
2002.2.13創刊号      世話人/発行人 余丁町散人
「荷風塾」を開きました。
       余丁町散人
われらの荷風先生がお亡くなりになられてから早くも40年以上が経過しました。亡くなられたのは昭和34年4月29日。東京の東、市川の侘びしい住まいで、一人で血を吐いて死んでいるのを、朝仕事に来た家政婦のお婆さんが発見したのでした。

最後まで偏屈に一人暮らしを続け、胃潰瘍であったにかかわらず病院にも行かず、亡くなるその日にも近所の安食堂で「甘くてべちゃべちゃする」カツ丼を平らげられ、その夜の大往生でありました。先生の逝かれた小さな6畳間には家具らしい家具もなく、散らかり放題で足の踏み場もなく、駆けつけた人たちの目をひそめさせたと言うことです。

なんという壮絶で、格好のよい死に方だったのでしょう。最後までご自分のライフスタイルを守られ、周辺から疎まれながら逝かれたのは、さすが憎まれっ子荷風と賞賛の念を禁じ得ません。

われら老人は、所詮世間の嫌われ者であります。同じことなら先生のように格好良く生きて、壮絶に死ぬことを目指して、みんなでお勉強し、修行したいと思います。よって「荷風塾」というものを作ったものです。

塾長はもちろん荷風大先生。場所はこのホームページについている掲示板。先生を肴にしていろいろおしゃべりをしませんか。そのおしゃべりの材料をこの「荷風塾 学校通信」で提供していきたいと考えます。

宜しくご贔屓の程お願いいたします。

なぜいま荷風なのか?
       高齢化社会と荷風川本三郎が荷風の話をするというので聴きに行ったことがあります。いやすごかった。川本三郎の話もさることながら、聴衆の平均年齢。ほとんどが散人よりももっと爺さんだったのです。荷風ファンは爺さんが多いと改めて実感いたしました。そういえば神田の古書店街では一番高く売られている古本は荷風の本だと聞いたことがあります。荷風が好きなのは高齢者。日本の資産は高齢者層に偏在している。かれらは余り消費はしないので経済評論家と称する人たちからは困りものだといわれているが、好きなものには金に糸目を付けない。だから荷風の本が高くなる、ということのようです。

荷風が若いころから既に自分を老人に見立てる傾向がありました。老人を否定的に見る実利第一主義の時代の中で、荷風はいわば老人の美学を追究したともいえるでしょう。老いてますます不良ぶりを発揮したのもうれしいことです。荷風は我ら老人たちの希望の星と言えるのではないでしょうか。日本の高齢化社会はいま始まろうとしています。よって自ずと荷風ファンも趨勢的に増え続けざるを得ません。まことに喜ばしい限りであります。

いま急速に高齢化が進んでいる中、テレビなんかで高齢者の生きがいはどう見つけるかとのテーマで番組が組まれたりなんかしております。でも散人に言わせれば馬鹿なことであります。もう何十年も前に永井荷風先生が答えを与えてくれているではありませんか。みんなが荷風みたいに不良老人になれば老後の人生もスリリングでまた楽しくなるのです。簡単なことであります。

でも荷風先生のライフスタイルは、昨日今日の付け焼き刃的な修行ではとても真似できるものではありません。何せ年期が入った不良生活です。その意味で、いまの若い世代も今のうちから荷風先生の生き方を勉強し、修行を積み重ねる必要があります。小さいときから始めておかないととても「大荷風」みたいには成れません。だからお若い方もぜひご一緒にわいわいやりましょう。
荷風旧居(断腸亭)跡
     新宿区余丁町
散人が住んでいる新宿余丁町には荷風が住んでいた断腸亭跡があります。新宿区の史跡に指定されたとかで、ようやく最近になり看板が立てられました。左の写真です。

都営地下鉄新宿線の曙橋駅から台町坂を抜弁天に向けて登り切ったあたりです。ビオセラ・クリニックという診療所の前に「断腸亭跡」との看板が出ていますが、正確にはここは永井荷風が入江子爵に売り払った土地であり、実際の断腸亭はその裏、つまりいま郵政省の宿舎が建っている地所の後ろあたりとなります

つい最近「メゾン・ド・ピュア」という変な名前の女性専用マンションが、まさに本当の断腸亭跡に建てられ、住まれている若い女性の方々の通勤通学で、一時はうらぶれていたこのあたりも、にわかに華やかになってきました。元祖助平爺を自認する荷風の霊は、さぞや喜んでいることと推察いたします。なによりの供養だと思います。

第一回はこのへんにします。続きをお楽しみに。

(下にいくつかの荷風と余丁町に関するリンクを付けました。「荷風のいた風景」とは松本哉の文章です。なおロゴと写真はクリックすると拡大画像が見られます)

断腸亭日乗(摘録)牛込抜弁天郵便局「荷風のいた風景」

〔再録〕永井荷風と余丁町

創刊号 2002.2.13     世話人/発行人 余丁町散人

われらの荷風先生がお亡くなりになられてから早くも40年以上が経過しました。亡くなられたのは昭和34年4月29日。東京の東、市川の侘びしい住まいで、一人で血を吐いて死んでいるのを、朝仕事に来た家政婦のお婆さんが発見したのでした。

最後まで偏屈に一人暮らしを続け、胃潰瘍であったにかかわらず病院にも行かず、亡くなるその日にも近所の安食堂で「甘くてべちゃべちゃする」カツ丼を平らげられ、その夜の大往生でありました。先生の逝かれた小さな6畳間には家具らしい家具もなく、散らかり放題で足の踏み場もなく、駆けつけた人たちの目をひそめさせたと言うことです。

なんという壮絶で、格好のよい死に方だったのでしょう。最後までご自分のライフスタイルを守られ、周辺から疎まれながら逝かれたのは、さすが憎まれっ子荷風と賞賛の念を禁じ得ません。

われら老人は、所詮世間の嫌われ者であります。同じことなら先生のように格好良く生きて、壮絶に死ぬことを目指して、みんなでお勉強し、修行したいと思います。よって「荷風塾」というものを作ったものです。

塾長はもちろん荷風大先生。場所はこのホームページについている掲示板。先生を肴にしていろいろおしゃべりをしませんか。そのおしゃべりの材料をこの「荷風塾 学校通信」で提供していきたいと考えます。宜しくご贔屓の程お願いいたします。

高齢化社会と荷風川本三郎が荷風の話をするというので聴きに行ったことがあります。いやすごかった。川本三郎の話もさることながら、聴衆の平均年齢。ほとんどが散人よりももっと爺さんだったのです。荷風ファンは爺さんが多いと改めて実感いたしました。そういえば神田の古書店街では一番高く売られている古本は荷風の本だと聞いたことがあります。荷風が好きなのは高齢者。日本の資産は高齢者層に偏在している。かれらは余り消費はしないので経済評論家と称する人たちからは困りものだといわれているが、好きなものには金に糸目を付けない。だから荷風の本が高くなる、ということのようです。

荷風が若いころから既に自分を老人に見立てる傾向がありました。老人を否定的に見る実利第一主義の時代の中で、荷風はいわば老人の美学を追究したともいえるでしょう。老いてますます不良ぶりを発揮したのもうれしいことです。荷風は我ら老人たちの希望の星と言えるのではないでしょうか。日本の高齢化社会はいま始まろうとしています。よって自ずと荷風ファンも趨勢的に増え続けざるを得ません。まことに喜ばしい限りであります。

いま急速に高齢化が進んでいる中、テレビなんかで高齢者の生きがいはどう見つけるかとのテーマで番組が組まれたりなんかしております。でも散人に言わせれば馬鹿なことであります。もう何十年も前に永井荷風先生が答えを与えてくれているではありませんか。みんなが荷風みたいに不良老人になれば老後の人生もスリリングでまた楽しくなるのです。簡単なことであります。

でも荷風先生のライフスタイルは、昨日今日の付け焼き刃的な修行ではとても真似できるものではありません。何せ年期が入った不良生活です。その意味で、いまの若い世代も今のうちから荷風先生の生き方を勉強し、修行を積み重ねる必要があります。小さいときから始めておかないととても「大荷風」みたいには成れません。だからお若い方もぜひご一緒にわいわいやりましょう。
散人が住んでいる新宿余丁町には荷風が住んでいた断腸亭跡があります。新宿区の史跡に指定されたとかで、ようやく最近になり看板が立てられました。左の写真です。

都営地下鉄新宿線の曙橋駅から台町坂を抜弁天に向けて登り切ったあたりです。ビオセラ・クリニックという診療所の前に「断腸亭跡」との看板が出ていますが、正確にはここは永井荷風が入江子爵に売り払った土地であり、実際の断腸亭はその裏、つまりいま郵政省の宿舎が建っている地所の後ろあたりとなります

つい最近「メゾン・ド・ピュア」という変な名前の女性専用マンションが、まさに本当の断腸亭跡に建てられ、住まれている若い女性の方々の通勤通学で、一時はうらぶれていたこのあたりも、にわかに華やかになってきました。元祖助平爺を自認する荷風の霊は、さぞや喜んでいることと推察いたします。なによりの供養だと思います。

第一回はこのへんにします。続きをお楽しみに。

2002年2月9日土曜日

余丁町便り (No. 002) 2002.2.9



余丁町便り (No. 002)
                 ..................
余丁町散人

このところ暖かい日が続いて、庭のツツジが季節を間違えたのか、一つだけですが小さな花を咲かせました。昨年秋に水を切らせてほとんど枯れさせてしまったものですが、その後いろんな人のアドバイスにしたがって手入れをしていたところ、何とか狂い咲きをするぐらいにまで元気になりました。写真を写真ページに入れておきましたのでご覧ください。

ところで、やっとデジカメを買いました。いままで何となく買う気になれなかったものですが、ホームページに写真がないとやっぱり淋しいと思って、散人の誕生日(1月31日)を機会に買ったもの。なかなか良いものですね。もっと前に買って居ればよかった。


掲示板を開設

ホームページに来られる方と自由な意見交換が出来るのも良いなと思って、掲示板を作りました。なまえは「余丁町散人の隠居小屋」と言います。したにリンクを表示してありますのでクリックしていただくと来ることが出来ます。掲示板とはボレティン・ボード・システム(BBS)といって、ネット上に作られた複数の人たちが意見交換したりお話をしたりする場所のことです。難しい規則なぞ何もありませんので、気軽にお越しください。匿名で書いていただいても一向に構いません。

今のところ、散人が主に書いておりますが、それでも二三の方には書き込みを始めていただいています。どうぞお気軽にご参加をお願いいたします。自由にスレッドの設定(話題の提起)が可能ですし、話題もまったく自由です。
昨日、出席したセミナー「ダイワのスペシャルトーク」で若林栄四氏のお話がとても印象的で裨益するところ多大と思いましたので掲示板にもポイントを載せておきました。読まれて損はないと思います。

女房どのとピカチュウ
***

女房どのの受勲に関して多くの方からお祝いのメッセージを頂き有り難うございました。女房どのも喜んでおります。あれ以降いろいろの公式行事などが続き、散人が一人でお留守番をするというのが多いのですが、おかげでホームページの製作作業もぼちぼち進んでおります。このアップル社のサイトで、全くの素人でもなんとか web ページが作れてしまう(おまけに美しい雛形が揃っているのできれいなものが出来る)というのは本当にすごいことです。やっぱりアップルは偉いのです。

うちの猫(ピカチュウ)もページに写真を載せたおかげで、多くの方から「でっかい猫だ」とのご感想をお寄せいただき恐縮です。すっかり有名になって本人(?)は得意気であります。

この次は愚息のことも紹介出来るように、次に家に来たときに彼の写真を撮るように致します。